うまれるまえのカデンツ

音楽と女の子についての考察

ミスiDに学ぶ「結局何にもない子を救うものなんか世の中にはない」ということ

 

 

 

ミスiDの纏う「ぼっちが世界を救う」というキャッチコピーに集約された気持ち悪さがやっぱりどうしても苦手。どこか暗さを抱えた人間の救いになるような事言って実際は審査員のただの好みとかそういうバイアスに結局振り回されるって、いま生きる残酷な日常となんら変わりないし。

 

 

 

結局何にもない子を救うものなんか世の中にはありません。

 

悪いのはもうミスiDとかそういう小さな話ではなくて
選ばれることでしか自己を肯定できなくした今の世の中そのものなんだな、きっと。オーディションなんて形態を取る以上誰かは選ばれない。最後は結局審査員の好みとかなんだよ。だからどうして自分に価値がないなんて絶望することがある?

でも実際、私の名前は呼ばれない。そんな結果。

 

呼ばれない名前に意味なんかあるのかな?
どうして意味がなくなってしまったの?
自分が自分を認めて名前を呼んであげればいいのにね、なんて道徳の授業かよバーーーーーーカ。通ってるホットヨガでよく言われてるけどね。私からしたら宗教みたいなもの


きっとこれ読んでる子にはカウンセリングに通った経験のある子もいることでしょう。言われるよねよく。「自分を認めてあげること

バカかよ

 

じゃあお前がなんかの権力とか、よくわかんないどうでもいいけどなんでもして、ミスiDのグランプリにしてくれよ

そういうことだろうがよ

 

それでも自尊心が拗れた女の子たちの這い上がる・自分をすきになるチャンスとして機能していることでこのオーディションは成り立っている。それは尊いことだし、否定しません。否定できません。確実に誰かの救いになっている。

場所やきっかけ、受け皿ってほんとに少なくて、それが目の前にあるんだからあとは自分が頑張るだけって
とにかく救われたいなら何らかの行動を起こして見つけてもらうしかないって腹をくくった女の子の集まりだしそりゃ、傷つくことだらけだ。

 

 

 

以前ミスiDは本当にコミュ障なのか、という記事を書いた。色々ありその記事は消してしまいどこかへ消えたけど

まあコミュ障とか不登校とかそういうメンヘラチックな修飾がやたら目立つなあそういう子ばかりかよと思ってます今でも思ってるし
自分もミスiDの子とイベント出たりすることもあるからわかるよ、

本当はお前コミュ障じゃねーだろ、超音波みたいに高い声だして媚びてんじゃん
本当に人見知りだったりする子は「一緒に写真撮りましょう」みたいな空気自体トラウマだし、そういうの看板に偽りアリじゃないっすか?うっかり子宮から声出てますよ?みたいなね。大人だから小さく悪態つくくらい許してね

 

実際どうかは置いといてメイクと同じで鎧みたいなもんだと解釈してます。メイクと一緒なんだ全部全部。プライドなんかファンデーションで覆い隠せばいいよ。

 

合わないメイクしてたら選ばれないし
合うメイクしたら選ばれる

もしも「すっぴんの自分にどれだけの価値があるの?本当の自分でいる必要あるの?」って聞かれたら何も言えなくて泣いちゃうだろーな、そりゃ媚びるよね媚びますよ、ベルセルクもびっくりなガチガチの鎧で固めてやりますよ。技術・努力です全部。クレオパトラだって小池百合子だって媚びてきたんだきっと知らんけど。

 

メイク上手になろうね

 

昨日の受賞者発表を見ながら「年々ミスiDがつまんなくなってくなー」なんて話をしました。でもそれは多分最初からだったのかな。つまらない人にとっては、玉城ティナちゃんがグランプリ取ったその年からずーっとつまらない。

じゃあどうして今更よりつまらなく感じるようになったかって毎年恒例行事になって観衆もエントリーする女の子もみんな賢くなってしまったからだと思う。
「どうせ今年もあのちゃんの中国産か、アイドル崩れが書類通るんだろ?」
「こうすれば選ばれるんでしょ?」

こうすればいい、どうせこうなんだろうの応酬とっても不毛じゃないですか?

 

と、色々書きましたけどどうしてこんな記事書くかってあたしは去年のミスiDの書類で落ちてるからなんですけどもwwwwwwwww

 


さて最後に。もうインターネットがリアルと殆ど同化したこの時代、居場所なんかどこにもないことを痛感する今日この頃
どうして錯覚してしまったのか?ミスiDなら助けてくれると思ったのか?

結局のところ誰も救ってくれなかったよね?
自分を救えるのは自分だけで

自分が情けないのは自分のせい。

 

 

 

強くなろうね。強くなりたいよ。