うまれるまえのカデンツ

音楽と女の子についての考察

2017年を振り返るのちょっと気恥ずかしいね

2017年も終わりだね。
本当にありがとうございました。
出会いと別れの年でした。

 

今年は1/2いきなりのステージが赤坂BLITZで、正直最初のライブが1番楽屋が快適だった。その後色々あって、8月いつだったか上旬、朝起きたらグループから1人辞めてた。「ワーオwwwwwwww」と全俺が盛り上がり、その後9月に私も含めたメンバーが全員卒業。でも全力でやれたから後悔してないし誰に対してもなんの恨みもない。

 

グループ卒業後、"ここの事務所に入れなかったらもうグループに入るのは諦めよう"と受けたオーディションに普通に落ちた。まあこんなもんだな人生、とすぐ切り替えられるほど現実の私は強くなく、9月からの私はうじうじしていた。どうしたらいいのかなと。

とにかく何かしなければと、ブログにはじまり壊したり作ったり色んなことに取り組んでみたりした。そうしてやっぱり自分は作曲だなあと当たり前の事に気づいた。

 

一時期、自分に音楽があるせいで憧れのアイドルになれないんだと思ったけど、頭冷やして考えてみて、音楽が私をアイドルにしてくれてるんだと思えるようになった。
そうして1つ迷いがふっきれた。
そんな2017年12月だった。

 

そもそも私が作曲をするようになるまでの話をしよう。3歳から19歳までエレクトーンをやっていた。中1の時に、ある作曲家さんの事を大好きになった。人生初のガチ恋だった。恥ずかしながらこの人と結婚したいなあと思った。短絡極まりないが、作曲家になれば結婚できるなと思い、エレクトーンの先生に理論教えてくださいと申し出たのが最初だった。中学1年生ほんとばかだな。初々しすぎてな。瑞々しくてまぶしいな。

 

その10年後、彼には私がすきになった当時からすでに奥さんがいたことを知りガチ恋からガチ尊に切り替えたが結構ショックだったな。この気持ちは推しに彼氏いるのを知る気持ちと同じだと思う。

 

忘れもしない祖師ケ谷大蔵。前に祖師ケ谷大蔵のスタジオに通っていた時期があり、その頃に彼の知り合いさんから聞いた情報なのだ。独身貴族だとばかり思っていたから帰りの小田急線でみっともないくらいぼろぼろ泣いた。祖師ケ谷大蔵はだから辛い……辛い場所なの………。

 

私事ですがここ数年小田急線沿いでしんどい事が起こりすぎてるから2018年は極力使わないようにします。電車内で涙が止まらないエピソードは思い返せばぜんぶ小田急線でした。

登戸でバーベキューした時に灰まみれになったのも、オーディション落ちて泣いたのもコケて尻もちついたのも満員電車にのまれてしゃがみこんだのも…小田急線でした。厄除けじゃ厄除け。下北沢行く時は井の頭線を使うのがマストだな。俺は井の頭公園になる

 

さて話が逸れまくったけども、
高校にあがる頃にはその人がどうとか関係なくなんとなくあたし音楽は一生やるんだろうなという確信があった。でも作曲を腰据えてやろうと思ったきっかけは別にきちんとある。高2の頃、学校の合唱コンクールの自由曲であたしが作った曲をやれる事になったのだ。必死で楽譜書いて初音ミクで仮歌打ち込んで、皆で練習して、あたしが伴奏。
そうして本番成功したのがすごく嬉しかったし自信にもなった。その経験が今でも原動力として支えてくれているんだと思います。

電子音楽がすきだったのもありDTMを独学で始め、その後ジャズ理論を学び、今に至る感じです。

 

でもアイドルになりたいと思った動機はまた別にある。°C-uteに惚れ込んで憧れて、こうなりたいと思ってしまったのだ。理屈じゃなかった。理屈じゃなかったんです。

でもその時自分はもう二十歳すぎで、鎖骨だけやたら出てるデブスで、コミュ障で、他にも色々と正真正銘のゴミクズなんだよな。
でも自信はないけど何か1つとりえを挙げてごらんと言われたらギリギリ作曲があるな…そんな気持ちではじめた活動でしたこれは。

 

そのうちああやってきちんとグループアイドル活動を経験することもできたわけで今思えばもう充分だったな充分幸せだったな。幸せでした。これからはソロです、あたしはね。
2017年悔しかった分をバネにして2018年頑張っていきましょう、
推してくれる人と一緒に、いけるとこまで。

 

良いお年を♡